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ブログ「令和2年4月14日Facebookより転載」

2016年夏、評論家に専念するようになって初めて出した本で、大恐慌のことについて次のように触れている。

1929年、大恐慌。
ハーバート・フーバー共和党政権は、財政均衡政策と保護主義政策をとって景気をさらに悪化。
1200万人の失業者が生まれ、保守の共和党への怨嗟が起こる。
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民主党のルーズベルト候補は、ニューディールという国家社会主義政策、いわゆるバラマキを提唱して、共和党に圧勝。
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ソ連は五か年計画で世界恐慌に巻き込まれず経済発展と宣伝(実は嘘だったが、当時の欧米の知識人は信じた)
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ルーズベルト民主党政権が恐慌脱出のため、ソ連と国交を樹立し、対ソ貿易を拡大。保守の共和党は、対ソ国交樹立に反対するも、経済政策の失敗で国民から支持されず。
一方、共産主義に憧れるアメリカの知識人層が生まれ、ルーズベルト政権内部に、ソ連のシンパが急増
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ルーズベルト政権のバラマキだけでは景気は回復せず。雇用拡大のため、戦争経済を志向する。
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ソ連のスターリンは、アメリカで反日を、日本で反米を煽るよう指示。
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高橋是清のリフレ政策で景気が一時期回復するも、226事件で高橋が暗殺され、再びデフレ政策へ
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日米ともに不景気の中、国民の民心は不安定になり、シナ事件勃発とともに、日米間の対立は増幅
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リフレ政策を唱えたり、対米協調を唱える経済人や学者は「自由主義かぶれの非国民」と非難され、大政翼賛会体制へ
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日米戦争へ

かなり大雑把な構図だが、これは過去の話なのだろうか。
ちなみに、共和党の保守派がアメリカで政権を奪い返したのは、1981年に発足したレーガン政権であった。
もちろん、こうした歴史の見方は偏っていると批判する人もいるだろうが、大恐慌のときの失敗がその後、何を起こしたのか、少しは理解しておいた方がいいと思う。

アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄 (祥伝社新書) 

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